東洋医学にたどり着くまで

現代医学の限界から漢方薬への可能性に気付く

医師になるには医学部を卒業し、大学病院などで研修を受けます。私も多くの医師と同じ様に医学大学にて国家試験を受け、卒業し、最先端の医療現場で研修、実践を重ねていました。

現代医学は極端に言えば身体はいろんな臓器の集まったもの、いろんなパーツの組み立てられたものと考え、故障が発生すればその個所を発見・修理し、場合によっては取り替えをする発想を持っています。大体は科学・物理学、言い換えるとニュートン力学の延長上に成り立っています。

経験を積むにつれて万能と思っていた現代医学では治せない病気が山ほどあることに気がつくようになりました。

ましてや患者の怒り、悲しみ、絶望感に対して現代医学は何も役立たないし、死にゆく患者に対しては何もしてあげられなくて、患者から逃げるようにコソコソしていました。

目の前の患者に何をしてあげられるのかという時に漢方薬を試してみたのです。現代薬とは違う効果を実感しその虜になっていきました。

漢方薬から鍼灸、そして気の医学へ

更に本格的に勉強すすめ煎じ薬、鍼灸、さらに気の医学へと間口が広がっていきました。

東洋医学では病気とは文字通り『気が病む』ことと考えられています。気という四次元的なエネルギーが体内で過不足になったり偏在したり、交流の悪くなった状態を病気といいます。

現代医学では診療科目はたくさんありますが東洋医学の視点からすれば気の状態を改善することによりあらゆる病気が治ると考えられてきました。

わかりやすく例をあげますと強い空腹状態を考えて下さい。

体には力が入らずフラフラし、眠れない、ささいなことでイライラする。もっと空腹になると考える力もなくなる。

気のパワーが不足し心身ともにダウンします。満腹になれば力がはいり眠くなる、イライラしなくなります。

東洋医学の本質は気であることがわかり、もっと直接に気を動かせたらもっと治療効果が上がるだろうと考えて気功を勉強しました。

いろんな流派ややり方がありますが極意は簡単で本人の気持ちで気はいかようにも作用します。古くからある手当て療法のやり方で『痛いの、痛いの、飛んで行け』と思えば、よくなっていくのです。

手ほどきをうければ誰でも症状を改善したり、遠隔治療までできるようになります 。

大阪の福島で月一回「気づきと癒しの会」を開催していますのでご興味の方はご連絡下さい。

更なる発展-心理学との関わり

経験を積むにつれて、病気の発症には心の作用が重要であることを益々感じました。ほとんどの患者さんは無理がたたって病気になります。

寝不足、飲みすぎ、食べすぎ、働きすぎといった行き過ぎた行動による「無理」、さらには、イライラ、まじめ、きっちり、がんばりなどその人の気質からくる「無理」。

これらの自分の精神的、肉体適能力以上に無理をすることが負担となって病気になるのです。発症した病気に対して薬をのめばとりあえず表面的な症状は改善されます。 高血圧、糖尿病、関節痛はおさまります。

しかし、私にはとても本当の治療とは考えられません。

病気は体の発する警告であり悲鳴なのです。 大事な意味があるのです。 この意味するものを理解して、根本を改善しないと薬はその場しのぎのドーピングとも言えます。

ではなぜ「無理」をするかといえば、その人の性格が大いに関係します。

NHKの朝のドラマの『おしん』のような性格、長く日本では美徳とされているような性格が病気をおこすもとです。 仲々理解しがたいかと思いますが癌のような病気になり死の恐怖が迫ってくるとはじめて自分の心の奥底を覗いて気づいてくるのです。

なぜ自分がこんな病気にかかったのか? この病気は自分に何を教えてくれるのか? 自分は何のために生れてきたのか? なぜあの人でなく私なのか?…… いろんな根本的な問題が浮かんでくるのです。

これに対する医師もこの問題にどれ程真剣に取り組んで苦しみぬいたかという経験がなければ、患者からコソコソ逃げだすより方法はありません。

大病に限らず、死別、破産、離婚、失職などの挫折がその人に大きなチャンスをくれるのです。 この問題に苦しみぬくことによりその人は精神的にスピリチュアルに成長するのです。

医師は症状を和らげ病気治しが最優先のことではありますが、患者の精神的、スピリチュアルな成長を助けるという 視点をもたないとただ苦痛と疲労が残るのみと考えます。

トランスパーソナル心理学関係の本を読みますと正確は生育歴だけではなく、出生時に多大なトラウマを受けることが書かれています。

がんばり屋の人にどうしてそんなに無理をするのかとたずねると、何か訳のわからない大きな力でおされて、自分ではどうしようもない。 次から次へと重荷がおしよせてさけられない、息がつまりそう、しめつけられるなどといわれるのはまさしく出産時の産道の状況と思われます。

現代医学は遺伝子治療、クローン、臓器移植の発展が見られますが、これらは心の苦しみは救ってくれません。 WHOの健康の定義として『肉体的、精神的、スピリチュアル、社会的にうまくいっている状態で単に病気のない状態ではない』とされています。 人間とは、病気とは、とてつもなく大きく、深く、はかり知れない存在であると痛感しています。

病気とは何か

癌になるということ

病気とは何かとたずねられたらたちまち、いろんな病名が思いつかれると思いますが、ここでは日本人の死亡原因の第一位である癌について考えてみます。

癌とは体のあちこちにできる悪性のはれものであり転移をおこし死に至らしめる恐ろしい病気です。癌の原因としては公害などに含まれる発癌性物質が遺伝子に作用して発生するのではないかといわれています。

その治療には早期発見・早期治療が大切とされCT・MRI・PET・腫瘍マーカー等の飛躍的発展により診断能力が向上しています。 また、治療には手術方法の改善・放射線療法・抗癌剤があり早期ならば完治が期待できます。

できるだけ早く悪い所を除去すればよいとの考えですが病気はそんな単純なものではないのです。 何故なら、癌のできる原因までは治せていないからです。 根本原因を治すのでないために手術の後遺症・抗癌剤の副作用により、みるみる衰弱し悪心・嘔吐・全身倦怠、頭髪の脱毛をおこし、死に至るケースさえあります。 どんな病気も前回に述べましたように気の低下がもとになっておこるのです。 それは癌であっても同じです。

気の回復なしに治療はありません。 気が低下すると身体と精神の不調をきたし、精神の不調とはイライラ・短気・感情の乱れ、判断力・理解力・決断力・記憶力の低下があげられます。

では気の低下はどこからおこるのでしょうか。

気の使い過ぎは気の低下へ

気の低下をまねく原因は一言でいえば気の使いすぎです。

オーバーぺースで心身共に消耗したからです。 心身に無理がかかり、強制的にストップをかけられるのです。

極端に言えばスピード違反でパトカ―につかまるようなものです。 安全運転をしていないからつかまるのです。 パトカ―(病気のこと)を恨んでもスジ違いです。 パトカ―は大切なことを教えてくれるのです。 違反をつづけると免停・逮捕・実刑となります。 病気の悪化のパターンと同じです。 安全運転をすればOKです。

病気は何らかの無理があることを教えてくれる警報です。 癌(病気)は単に身体症状についてのみ解決されるべき問題ではないのです。

もちろん身体症状の治療は必要ですが、大切なことは患者さんのかかえているストレスを一掃することです。

癌になりやすい方は真面目・きっちり・努力家・がんばり屋、頼まれると断れない・八方美人型・ストレスの発散のへたな方、 弱音をはかない・・・といったタイプの人に多いようです。

このような生き方をすると怒り・悲しみ・苦しみ悔しさがどんどんたまります。

数十年たちますとすごい量のエネルギ―となり腐敗・発酵し自分の体を蝕むようになるのです。

年少の頃から人生はかく生きるべしとの呪縛が潜在意識の中に封入されているのでなかなか気づくのは困難です。

癌はあなたに教えてくれる信号である

その人の生きかた・人生観には無理があるのを気づかせてくれるのが癌という病です。

これに気づくのは大変むつかしく、これまでの人生で築いてきた人生観では通用しません。

禅の公案のようなものです。 医療者は身体的症状を良くすることも必要ですが最も基本的な仕事は患者さんが これまで全く無自覚で無視してきた 感情に心を開くのを手助けし、それが大切な情報の源であることに気づいてもらうことにあります。

これは、医療者と患者さんとの共同作業です。 長い人生の間で心にささった無数のトゲを一本一本抜いていく。

凍りついたままの昔の怒り・悲しみ・を思い出してしっかり怒り、またしっかり泣く。 こうすることにより、心がゆるみストレスが減っていくのです。

このような作業は、呪縛を解いていくこととでもあり、悟りであると思います。

仏教的にいえば無明の世界・苦界より抜け出すのです。

癌は敵ではありません。癌はそのままの人生観で進んでいくと不幸になると教えてくれる信号なのです。

その信号の意味を理解して方向転換をすれば、より充実した道へとつながるのです。

軽い病気ならば時々かかり軌道修正をこまめにするのが大病をさけるには効果的です。

健康とはWHO定義にありますように「肉体的・精神的・社会的・スピリチュアルにうまくいっている状態で単に疾病のない状態ではない」とされています。 これから外れると病気になるのです。

はじめはわずかのささいな症状ですので、そのささいな信号に常に注意をむける。

特に自分が無視してきたことに気づくことが大切です。小さな気づきを重ねて大きな気づき(悟り)を得るのです。

生きるとは何とすばらしいことかと!

東洋医学における「気」

気とは何か

「気」とは生命エネルギーのこと。

目に見えず直接その量の測定はできないので、間接的に元気さや健康状態によりうかがうより仕方がありません。 「気」は電気とよく似ています。 手のひらの上にのせて見ることができないけれど、電気はテレビ、電灯のつくことでその存在を疑う人はいないでしょう。

しかし「気」という漢字が使われる単語はたくさんあり、昔から「気」の存在は信じられていました。 現代科学のもとでは科学的に証明されないものは信用できないとされ、「気」の医学はともすれば窓際におかれていました。

しかしながら、光でも人が見ることができるのは可視光線の部分のみで、たかだか二百年前までは赤外線・紫外線・電磁波の存在は知られていませんでした。 「気」もいずれ再発見されることを信じています。

「気」も電気と同じ電圧(ボルト)電流(アンペア)電力(ワット)抵抗(オーム)の概念を使うと理解しやすいのではないでしょうか。

気の質(ボルト)と量(アンペア)によって、あるいは患者さんの抵抗(オーム)により気の流れ具合が変わり治療効果に差がでるからです。

気が強い・弱い・荒い・気高いはそれぞれ量と質を表しています。

気を通すためには気は量だけでなく、より繊細な質の高い気でなければ抵抗にあい、気が通りません。質の低い気ならば身体の部分にしか作用しない。

現代医学は病気を唯物論の立場よりみています。 気についての理解がないため、身体レベルにしか作用を及ぼすことができなくて全人的な治療になっていません。

最近では精神的・霊的部分への治療も大切であるとの認識がひろまりつつあるのは明るいきざしであると思います。

唯物論のみでは心を癒せないからです。

病気の本質

病気は「気が病む」と書くように気=生命エネルギーに異常をきたしていることを差します。

現代医学からみれば遺伝・感染・免疫・アレルギー・腫瘍・加齢・老化・心身症、生活・社会・環境・気候・中毒・外傷・等々のたくさんの原因に分類されています。

もちろん現代医学の診断技術及び治療により克服された病気も多いのですが、病気の種類は増殖をつづけ、決して患者さんの数は減ってはいません。 病気の本質は何か、根本原因は何かということが解明されなければ前途は暗いと言わざるを得ません。

生命エネルギーの異常はいろんな無理からきていると考えます。 無理は生命エネルギーを消耗させます。 いわゆる「がんばり」「がまん」でストレスをためすぎて発病にいたる場合。 衛生観念の欠如による場合、無知による場合。 いずれにしろ仏教的にいえば『無明』より発するのが根本と考えます。

これはWHOの定義(1.身体的 2.精神的 3.社会的 4.霊的に健全な状態)のどれもが その機能を発揮せずに暗闇に沈んでいるからなのです。 この部分に気がはいると病気は消えていく。 ここに気がはいるためには気のエネルギーが相当強くなければ変化をきたさない。

そのためには治療家(医師)自身が身体的・精神的・社会的・霊的によく気が通るようになっていてはじめて患者さんを救うことができるようになると言えます。

精神的な抵抗としては生育歴におけるトラウマ、会社、家庭での葛藤・経済的苦しみ・・・ それこそ釈尊のいう四苦八苦の悩みによりがんじがらめにからまります。 気のエネルギーが高まれば、 悩み苦しみの解決能力が活性化します。 気が小さければ悩み苦しみは封印されて表面化しないが、気の高まりにより封印がとける。

治療者は解決のあとおしをする産婆役をしているのです。

判りやすくいえば病気は消費者からのクレームのようなものである。 クレームを無視すれば倒産になるし誠実に対応処理すれば繁栄につながるのと似ています。

気の毒なのは癌の患者さんである。 無理をしてストレスを長年ためこんで発病し、いろんな苦しい検査又苦しい手術に耐え更に抗癌剤治療をうけ、頭髪が抜けたり、みるみる衰弱していくのは大変つらいことです。

しかも癌と戦うとか病魔と戦うというのはある意味では間違いであると思います。 病気は自分の生き方考え方に誤りのあることを教えてくれるクレ―ムのようなものであるのでその意味を正しく理解して改善していくと病気はどんどんよくなります。 消費者のクレ―ムと戦うのはとんでもない破滅行為なのです。

無明より脱するように情報をくれるのが病気としたら、病気も亦楽しからずやとおもわれるが如何。

なかなか気づくのは困難です。